市長コラム 「地域の歴史に触れる」(平成25年6月)

2013年6月12日

長年の懸案事項でありました都城志布志道路の、調査区間であった県境部分が整備区間に指定されたという吉報が5月にもたらされました。他の区間はすでに全線整備が盛んに進められており、この区間のみが着工の見通しが立たず、やきもきしていたところですが、この度ついに悲願達成の朗報となったところです。


 また別途東九州自動車道の志布志~串間~日南間も、整備について国の小委員会で審議されるというお知らせもいただいたところです。ひょっとすると今年度中にこの区間も整備区間指定の決定がいただけるのではと期待が高まります。


 さて、志布志市の振興は志布志港の振興を基として発展している訳ですが、この度志布志港に至るアクセス道路の整備について従来からするとかなり明確になってきたものと心より嬉しく思います。東九州自動車道の曽於弥五郎~志布志間には、新政権になり前年度と比較して2倍の予算がつけられ、工事の進捗が大いに図られるところですが、現在の一番の課題は、埋蔵文化財の調査が追いつかなくなりそうだということです。


 この区間においては実に縄文時代の物から古代、中世の物と19カ所も埋蔵文化財が存在しており、極めて歴史ある地域と言えます。


 これらの遺跡は、大和朝廷より遥か昔の物もある訳ですが、私はこの地域が日本文化の発祥の地ではないかと密かに思っています。


 かつて薩摩国の人々は、時の権力者に対して歴史的に5回大きな戦いを挑んだと言われています。古くは奈良時代、隼人と呼ばれた人々が朝廷に対し反乱を起こしました。続いて戦国時代、島津氏が九州制圧を目前に豊臣秀吉に服従しました。また関ヶ原の戦いでは西軍につき、徳川家康に敗れたのであります。そして4回目はご存知のように幕末に徳川幕府に対して明治維新の大原動力となり、5回目が西南の役で西郷隆盛を先頭に明治政府に抗議の戦いをしたという事であります。このように古来から、この地は日本に先駆ける独立気風の戦いを重ねてきた地域ではないでしょうか。


 今後進められる埋蔵文化財の調査により、私どもは改めてその歴史を認識し、誇りとするところになるのではないかと思います。


 今まさに志布志港は、その長い日本の歴史において、先駆けとなる港に整備されようとしています。その港の振興が導く志布志市の発展を、市民の皆さまと共に見届けたいと思います。

 

  

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