【県指定文化財】 愛甲喜春の墓

2016年9月1日

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愛甲喜春は慶長10年(1605年)志布志若宮に生まれ、元禄10年(1697年)8月16日に93歳で大慈寺見性庵で没しています。

相模豪族の出身でしたが、父親の代に零落し、大慈寺門前に移り住んでいたようです。31歳の時より4年間、大慈寺末寺の都城常徳寺(後龍泉寺)にて教えを受け、また、この頃に医学を修めました。寛永17年(1640年)、泊如竹を慕い屋久島に赴き、如竹について学び、桂庵玄樹より受け継がれた薩摩宋学の学統を継ぐに至りました。

如竹が島津光久の侍講となる際、鹿児島に移り、易学・暦法・断易法・洪範(天下を治める法)・示現流剣法と、広範に学問を修め、特に医術において名声を博しています。

万治2年(1659年)に島津光久の侍講となってから、28年間に渡り、藩の政治、弟子の教育に努めましたが、貞享4年(1687年)には志布志に戻り、この地で余生を過ごしました。

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愛甲喜春の墓

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