市長コラム (平成28年11月)

2016年11月15日

先月、九州市長会が福岡県大牟田市で開催され、三池港を見学しました。三池港は昨年、明治日本の産業革命遺産に鹿児島県の集成館事業等と共に指定されました。三池港は、日本で唯一の閘門を持つ港として1908年に築港されました。有明海が干満の差が大きいため大型船が入れなかった三池港に閘門を備え、大型船が停泊できるようになり直接海外へ石炭の輸送が可能な港となりました。志布志港とは港の概念がまったく異なり、しかも100年前の設備が現役で稼動していることに驚かされました。

三池港の開港と共に建てられた三井港倶楽部が昼食会場でしたが、高級船員の宿泊接待所や三井財閥の社交の場であり、上品な赤絨毯など贅を凝らした造りに目を見張りました。まさに、当時の日本が威信をかけて造ったのだと思わされました。

明治日本の産業革命遺産は、わずか50年という短期間で工業立国としての土台を築いたことが評価されています。それは、1840年の阿片戦争で、当時の日本が師として仰ぐ大国清がヨーロッパの小さな島国イギリスに破れたという衝撃から始まったと言われています。「蒸気船と大砲を持つイギリスには中国でも勝てない。わが国ではひとたまりもない。」という危機感から、佐賀藩、長州藩、薩摩藩で大型船や武器の製造が始まりました。

薩摩藩では、1851年、島津斉彬候によって鹿児島城下の磯地域で集成館事業が始まりました。この時期の日本には西洋の技術を習得するすべがなく、和蘭書を片手に西洋科学に挑み、日本初の近代工場群が建設されました。(スゴイ!)

薩摩藩の遺産は、集成館事業だけではありません。動力として利用していた水力を得るため、大量の水を磯地区に引き込む必要があり、関吉に7kmもの疎水溝が造られています。また、大砲を鋳造する反射炉の燃料として大量の木炭や白炭が必要とされ、それを寺山の炭焼窯で生産し磯地区に運ばれました。この3つが薩摩藩の遺産となっています。

明治維新のきっかけとなった産業革命が、この鹿児島の地で始まったことは、現代、様々な場面で世界と向き合わなければならない私たちにとって励みになることだと思います。特に、小中高生や若者には、このような薩摩の歴史を学び、発奮して欲しいと思います。

10月31日の「日本茶の日」を記念して、志布志市茶業振興会の皆さんが市内の小中学生に毎年お茶を贈ってくださいます。市としても、インフルエンザゼロ作戦に今年も取組み、10月25日に尾野見小学校で発表イベントを行いました。今年の冬は、インフルエンザや風邪もひかずに元気に登校して欲しいです。市民の皆様も、医療費削減のため「お茶一日+6杯運動」への取組など、ぜひご協力ください。

お問い合わせ

総務課
秘書広報係
電話:099-474-1111
ファクシミリ:099-474-2281