志布志城の概要

2017年3月1日

志布志市志布志町の前川河口部、シラス台地の先端に、内城・松尾城・高城・新城の4つの中世山城が存在しています。この4つの山城を総称して「志布志城」と呼びます。

志布志は、万寿3年(1026年)に平季基によって開かれた大荘園島津荘の港として発達したといわれています。当時、志布志、松山と有明の東半分を中心とした地域は救仁院と呼ばれ、平安時代末期の文治5年(1189年)より救仁院氏が治めていました。

古より志布志は前川河口に堤防の様に存在する権現島のおかけで、天然の良港であり、海上交通の要所でした。中世においては、陸上交通より、船で一度に大量の物資を運搬できる海上交通の方が発達しておりました。そのため、この地を支配する事は重要な意味があったのです。

志布志城の正確な築城年は不明ですが南北朝の時代には松尾城と内城が存在していた事がわかっています。その後、高城と新城が築かれたと考えられています。建武3年(1336年)に、「救仁院志布志城」の肝付氏が重久氏に攻められた記録が残っています。この時の志布志城は、築城時期が最も早いと考えられている松尾城だと思われます。

平成17年7月14日に内城の全体と松尾城の一部が国の史跡として指定を受けました。

 

志布志市埋蔵文化財センターには、当時の内城の姿を想定復元した模型が展示されています。

 

志布志城位置図

 志布志城位置図