市長コラム (平成29年9月)

2017年9月13日

8月26日、志布志港国際バルク戦略港湾整備促進大会が市文化会館で開催されました。三反園知事、衆議院の森山先生、参議院の尾辻先生、野村先生等の国会議員の方々、国交省九州地方整備局の村岡副局長にもご出席いただきました。森山先生は志布志港の整備の歴史について話され、野村先生は緞帳に描かれた絵を見て、志布志港の歴史が古いことを話されました。改めて、古の時代から志布志港は地域振興のシンボルであったのではないかと思います。

1300年ほど前、天智天皇は前川河口の権現島から800m上流の献上淵の岩から上陸したと伝承され、当時の港はこの場所であったと思われます。その後、天智天皇がこの地を「志布志」と名づけたことは、いつもお話ししているとおりです。

志布志港は、古くは「志布志津」と呼ばれ、江戸時代中期には薩摩藩の米の積出港として発展していたようです。

江戸時代末期になると清国との密貿易港となり密貿易による膨大な利潤によって港は繁栄、志布志千軒町と呼ばれるほど商家が立ち並んだと言われています。

しかし、明治に入り密貿易の利潤が無くなり衰退すると、危機感を抱いた明治後期の人々は、県や国に対して港の再整備を盛んに要望しました。要望を受け、明治44年には当時の坂口知事が港口を調査され、大正7年に整備決定、昭和11年には地方港湾に指定されています。

その後も志布志港の整備促進の要望を重ね、昭和44年重要港湾指定、昭和52年さんふらわあ就航、平成8年九州唯一の中核国際港湾指定、平成21年新若浜埠頭完成、大型国際海上コンテナターミナルの供用開始と発展してきました。さらに、平成23年5月に指定された国際バルク戦略港湾の事業着工が今年決定し、5年後に完成する予定です。

国際バルク戦略港湾が完成すれば、日本でも有数の港になるのではと思います。

元志布志町長の黒木隆之氏は、著書「わが激動の足跡」に当時盛んに要望に訪ねた地元選出の山中先生に言われた『おはんな珍しい賦(ふ)のいい男な。重要港湾の指定の時も、予算決定のときも、おはんがきた時にできたとは、運の良か男じゃ』という言葉が忘れられないと書いています。

私は、平成21年の国際コンテナターミナル供用開始の式典で「自分は賦(ふ)のいい男だ」と挨拶しました。先輩町長をはじめ関係者の皆さんが懸命に要望や陳情を重ねた結果、出来上がったものに私がお祝いの言葉を述べられたことは、本当に賦がいいと率直に思い、出た言葉でした。

志布志港の歴史を振り返ると、いつの時代も同じく港の果たす機能を考えているこの地域の姿勢が見えて、何か感慨深く、地域発展の源である志布志港は、この地域にとってはまさしく磨けば光るダイヤの原石なのだと感じました。