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【市指定文化財】 田中家の仏舎利
明治2年(1869年)の廃仏毀釈の折、宝満寺最後の住持であった円道和尚は、親交のあった漢方医田中源左ヱ門を頼り、宝満寺の仏具を預けたと考えられます。仏舎利は仏具と共に田中家に伝えられたもので、小塔に収められています。
興国元年(1340年)に、足利直義の奉納したものと思われます。
仏舎利の寄進に関しては、足利直義花押の塔婆寄進状が存在すると伝えられていますが、古文書は焼失しています。
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明治2年(1869年)の廃仏毀釈の折、宝満寺最後の住持であった円道和尚は、親交のあった漢方医田中源左ヱ門を頼り、宝満寺の仏具を預けたと考えられます。仏舎利は仏具と共に田中家に伝えられたもので、小塔に収められています。
興国元年(1340年)に、足利直義の奉納したものと思われます。
仏舎利の寄進に関しては、足利直義花押の塔婆寄進状が存在すると伝えられていますが、古文書は焼失しています。