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志布志城(内城)の概要

ページID:0001522 更新日:2021年10月11日更新 印刷ページ表示

 規模は、南北600m、東西300mの大きさです。北東から南西に延びた細長い丘陵の先端部に立地し、北東部のみが台地につながっている地形です。この部分に深い堀切(山城を台地や尾根から切り離す大きな空堀)を設け、台地と山城を切り離しています。

 内城は大きく3つの部分に分けられ、それぞれ本丸、中野久尾、大野久尾と呼ばれています。南北朝の時代には本丸を中心とした部分だけであったのが、その後の戦乱を経て中野久尾と大野久尾が作られ規模が拡大したと考えられています。

 平成15年と16年に矢倉場(曲輪1)、曲輪2上段・下段、本丸(曲輪3)上段・下段、中野久尾(曲輪5上段・下段)、大野久尾(曲輪6上段・下段)、大空堀(空堀2)、ほぼ内城の全域にトレンチを設定し確認調査を実施しました。

 更に平成18年~20年に本丸(曲輪3)下段、曲輪2上段の面調査を行い、平成22年に矢倉場(曲輪1)、曲輪2下段、曲輪4上段、平成23~26年には大野久尾(曲輪6上段・下段)を調査しました。

志布志城内城縄張図


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