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【市指定文化財】 宝満寺跡の形代仁王像

ページID:0022881 更新日:2023年8月10日更新 印刷ページ表示

仁王像

 伝承によると応永8年(1401年)3月、島津氏の内乱により櫛間の本田忠親の軍勢が、奥州家島津氏の本拠地である志布志地方に侵入し、向江原に陣を張りました。その時志布志城を預かっていた新納実久は、庄内に出兵しており城を留守にしていました。本田勢の侵入を受けた郷民は、古老尖政右衛門の機知により、新納実久が兵を返し来るまで防ぎ戦い、新納実久は宝満寺より犬馬場まで侵入してきた本田勢を破りこれを退けました。このとき、新納実久方野辺薩摩九部の家臣隈田原兄弟が、主君を助けて奮戦し討ち死にしました。兄弟は兄19歳と弟16歳であり、共に容貌荘偉の偉丈夫であったと語られ、兄弟の武勇を惜しんだ人々が宝満寺河畔に2人の形代を石像に刻み、建てられたものと伝わっています。
 上部がかなり摩滅しており、正面右側の像は廃仏毀釈によって上半身が欠損しています。


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